今でも記憶に残る「タンポポ広場」

国内のコンチェルトゲートのサービス終了を惜しんで
当時の思い出話を始めようとすると度々話題に上がるのが、

シルト地方への移動で、低レベルキャラが
大きなたんぽぽの綿毛を頭につけて移動するという
幻想的なシーンがあり、エリア別経験値システムの
撤廃に伴いタンポポ広場も撤去されることになったのですが

「あのシーンは とても良かった」

と、思い出話に花咲く1つ思い出として大事にされています。
施設/タンポポ広場 – コンチェルトゲート フォルテ Wiki*

カテゴリー: 未分類 | コメントする

ジャンプという感情表現

どのゲームでも感情表現というのは大事なもので、
クロスゲートでも多種多様で
個性的なアクションが存在したわけですが
「3D化すると2Dよりも制作コストが安く仕上げられる」
という思想の下、モーションの統一化処置が入ることになりました。

その中で最も影響を与えることになったのが
「ジャンプ」のアクションで、
嬉しいときにジャンプのアクション
感情や場面の盛り上がりでジャンプのアクション
というようにプラス感情を大きく表現できるアクションで
コンチェルトゲートの初期だと
ジャンプ集会のような集まりも存在し
プレイヤーを集めてみんなでジャンプアクションをする
というような企画も出てくることになりました。

しかし、動きのあるモーションというのは
どうしても人の気を惹くアクションでもあり
一度ジャンプのアクションを選択すると
そのままずっと連続してピョンピョンし続ける
という落ち着きのないモーションにもなっていて
次第に人通りが多いようなところでは避けられるようになり
何かの祝い事や、イベント事のクライマックスで
みんなでピョンピョン跳ねるくらいにまで落ち着くことになります。

時代とゲームは移り変わり、ドラゴンクエスト10でも
ジャンプのアクションが存在することになり
そちらだと専用のジャンプボタンが割り当てられる一方で、
ボタンを1回押せば1ジャンプというように
ジャンプの連打については体力の続く限り
というような制限は設けられることになったものの
感情表現としてはとても重要なものになっていて
何かとても倒しづらい強敵に打ち勝ったときに
ジャンプを連打して感情を表現することや、
ジャンプにレアモーションを設けられていて
例えばプクリポだと通常ジャンプの他に
くるっと1回転するレアジャンプモーションが存在していて
レアジャンプモーションを見たさにジャンプを連打する
というようにジャンプをしたくなる工夫も設けられることに。

後にジャンプをするとダメージ回避できる仕様も加わって
戦術的にもジャンプをするというのが重要になるのですが
クロスゲート、コンチェルトゲートから通してみると
「ジャンプをする」というのが作品が違っても
とても重要な感情表現だったんだなと重く感じいることもありました。

……飛竜撃とは?
(※クロスゲートにはないスキルだった)

カテゴリー: 未分類 | コメントする

三次職と「聖杯戦争」

ハンゲームからゲームポッドへ運営移管され
ポンズビックからリズへと開発が切り替わる頃、
ローゼンベルグ学園へと舞台がかわり
職業システム自体も大幅なリニューアルが加わることに。

戦闘科の三次職として
ストライカー、バーサーカー、アーチャー、セイバー、ランサー
魔法科の三次職として
ソーサラー、シャーマン、ビショップ、セージ、テイマー
生産科の三次職として
レンジャー、トレジャーハンター、ブラックスミス、シェフ、アルチザン
特別科の三次職として
ダークナイト、テンプルナイト、プロフェッサー、ドクター、ファントム
職業一覧 – コンチェルトゲートフォルテWiki+

この中で、「バーサーカー」「アーチャー」「セイバー」「ランサー」
こちらの並びをみるとピンとくる人もいて
TYPE-MOONさんの作品「Fate/stay night」にて
「Fate/stay night」公式ページ ストーリー紹介
聖杯戦争で召喚される7種の基本クラスが
「セイバー」「アーチャー」「ランサー」「ライダー」
「キャスター」「アサシン」「バーサーカー」で
その半分が戦闘科に出ている状態だったのですが
当時の開発会社のリズの方からそちらのファンだった
という話は出ており多少はそちらを意識した
職業名称にはなっていた話が出ていました。

私だとそのことは把握していたものの
当時そのことに触れることは避けることにしました。

リテラシー

クロスゲート、コンチェルトゲートともに
パソコンゲームという括りとして扱うと
パソコンゲームというジャンルにおいて
アダルトゲームというも主軸として存在することになります。

1つの感覚として、パソコンゲームの延長線上として
ネットワークゲーム、今回だとクロスゲート、コンチェルトゲートを
遊んでいるという認識で、アダルトゲームを結び付けてしまう人もいて
具体的に話すと、クロスゲート時代では
アダルトゲームのアリスソフトに出てくるキャラクターを
モチーフにしてゲーム内掲示板で活動する
ということも実際にプレイヤーサイドで展開されることもあり
事情を心得ている身からすると、
黒歴史的ななかなか痛々しいロールプレイだなあ
というのが私個人からの率直的な感想です。

もちろんパソコン好きが高じて
ネットワークゲームに流れてくる人や
人の紹介でネットワークゲームに流れきた人もいる中で
リテラシーを踏まえると、親和性は高いことは知りつつも
やはりそちらの話題を振るのは控えた方がいいだろう
という判断は働いていて、厳密には
TYPE-MOONさんの作品「Fate/stay night」は
アダルトゲームのジャンルの作品が大本だったことから
そちらの解説は当時控えることにした、というのが実情になっていました。

ただ、後のスマホアプリの「Fate/Grand Order」の登場で
認知度が一挙に高まり、テレビCMでもよく見かけるようになっていて
当時でも18禁バージョンの他に、
家庭のゲーム機でも遊べる通常バージョンも存在しており
結果として、深く考えすぎていた嫌いは出ていたのですが
新しく担当する開発会社ということで
他所のゲーム作品の設定オマージュが出てくる
というセンシティブな扱いだったこともあって
触れたくても触れられなかったところは否めないですね。

カテゴリー: 元ネタ | コメントする

「座談会」で話せなかったこと

ゲームポッド運営時に度々開かれることになったのが

運営主催の「座談会」です。
ゲーム内の劇場の中で開催し
マイク機能を使って劇場内の全体アナウンスを行いつつ
今後のアップデート内容を告知する発表の場でもありました。

劇場の説明を入れると、ハンドベルを利用した演奏会の他に
クロスゲート時代だと特に運用目的がハッキリしておらず
実はドラゴンクエスト10でも踏襲することにもなっています。

コンチェルトゲートのハンゲーム運営時代では、

せいぜいイベントの集会所止まりの運用だったわけですが、

ゲームポッド時代だとエリア内が全体チャットになる
「劇場用メガホン」を利用して
相互に語り合い反応をダイレクトが届くことから
座談会の場として劇場が利用されることになりました。

2009年3月3日座談会のログ
2009年5月2日(土)座談会ログ
2009年7月5日(日)座談会ログ 
2009年10月4日(日)座談会のログ
2009年12月20日座談会のログ
2010年3月22日座談会のログ
2010年10年6月6日座談会、重要情報のまとめ
2010年12月26日開催の座談会のログ
2011年10月16日(日)プレイヤー座談会のログ

ドラゴンクエスト10だと、リアルで会うタイプの
本当の座談会が開催されるということで
座談会というものの記録を録っていた身からすると

「リアル座談会に参加できる
 『推しのプレイヤー』をそれぞれ送り出してあげてほしい」

というのが当時からの心境で、
当時の私だとその手の権利はかっさらえてしまえる
という強度だっただけに、ブログ上で自分の言いたいことは言える
ということもあったことから、できるだけ他のプレイヤーに
活躍の機会を与えてほしいというスタンスをとっていました。

2009年7月5日の座談会にて

こんな感じの、当たり障りのない記事を書くつもりだったのですが
「2009年7月5日の座談会」のログを確認しているときに
当時書けなかったことを今になって詳細に解説してみようかと。

「2009年7月5日の座談会」の内容について、
運営側が初心者サポートを考える上で、
他のMMOにはみられるはずのプレイヤー構成による
初心者サポートギルドの姿が見られず
運営移管したてのゲームポット側から
座談会形式で質問がアレコレ入ったという話が出ています。

これについては実際に何が起こったのか話をすると
確かに、ハンゲーム時代のコンチェルトゲートの
サービスしたてのときはプレイヤー構成による
初心者サポートギルドが存在し、
クロスゲートからの流れで、
クロスゲートの方でも初心者サポートで定評のあった
「UNICORN(ユニコーン)」というギルドが
その役割を担っていたのですが、
1つトラブルが発生することになりました。

話は切り替わり、匿名掲示板に
『迷惑プレイヤー』をウォッチするスレッドが存在し
あるプレイヤーの動向について
日々話のタネにされていたのですが
そのプレイヤーは一通りやることが無くなったようで
やることを探しにギルド探しを始め
そのプレイヤーが所属することになったのが
初心者サポートの「UNICORN」になりました。

そちらの匿名掲示板のスレッドでは
形式上だと突撃行為は禁止されているものの
『迷惑プレイヤー』への
連帯感による懲らしめ行為は慣行されており
彼らにはそのギルドのこと自体はよく知らないものの
『迷惑プレイヤー』を叩く名目として、
所属先のギルドも叩き出すという流れに陥りました。

その結果、所属先のギルドは消失することになり
その話題のプレイヤーも更にやることが無くなることによって
姿を見せなくなったわけですが、
それ以後コンチェルトゲートでは
初心者サポートの後継ギルドが
結成されることがなくなってしまい、
ゲームポット運営移管直後でも
目ぼしい初心者サポートギルドが
空白の状態のままだった事情が存在していました。

私だとクロスゲートからコンチェルトゲートまで
どちらも通して活動し続けているプレイヤーであり、
かつ、どこまでも事情通だったということもあって
上記の流れは、当時の座談会中でも
詳細に答えることはできたはずなのですが
事情が事情なだけに言い出すことができず
自分の胸にしまっておいたままになっていた話です。

座談会を見返しているときにふと思い出すことになり
今なら表沙汰にしても問題なかろうということで
実際にあった1つの昔話を引っ張り出すことにしました。

―――こう、膝をつきあわせて
語り合っているように思えても
話せないことってあるんですよね

カテゴリー: 未分類 | コメントする

「タイムアタックダンジョン」イベントを振り返る

運営移管がハンゲームからゲームポッドへ移り変わり
ゲームポットでは様々な「経験値増量イベント」が行われ
その発端となったのが、確か「タイムアタックダンジョン」
での経験値増量イベントだっと思います。

クエスト/タイムアタックダンジョン – コンチェルトゲート フォルテ Wiki*
クエスト/タイムアタックダンジョン/最速への道 – コンチェルトゲート フォルテ Wiki

当時の模様としてはコチラ。
新クエスト「タイムアタックダンジョン」を攻略してみた(実装した手の頃のレポート)
経験値の増量・期間決定タイムアタックイベント(~10年1月18日12時)
タイムアタックイベント体験記

イベントの舞台裏

うさぎ紳士はクロスゲートの頃から
部外者に捕まりづらいくらい活動的で
どうしても会いたいのならば
彼のチームのたまり場で帰りを待つ
それくらいのことをしないと
連絡がとれないような人間でした。

ただ、たまり場で待つくらいの
動機を持って接する人も限られていて、
よほどチーム単位で仲の良い人達か
ゲーム全体に関わる相談事を
持ち込んでくる人に限られています。

そのときは後者にまつわる人で
「星空」さんから相談事がありました。
公式イベントで開催される
「経験値の増量・期間決定タイムアタックイベント」
に関することです。

私だとその時点では、イベント事には
あまり積極的に参加しない性質だったのですが
この企画、運営主催にはなっているものの
元はコンチェルトゲートの1プレイヤーの「星空」さんが企画し、
メールで運営に持ち掛け、運営開催まで漕ぎ付けたのはいいものの、
肝心のイベントとして盛り上がるのかどうか大きな不安がある、
ということで、当時最も著名だったうさぎ紳士(のコンチェルトゲート日記)に
タイムアタックイベントを盛り立ててくれないか?とのオファーがありました。

今回の件、特に私に報酬があるというわけでもないし
今現在でもブログにアクセスが増えたとしても
1円も収入にならない、真の趣味のサイトなわけです。
そんな状況なので、特にタイムアタックイベントを
お手伝いする理由はありませんでした。

それでも協力することになった理由としては
単純に「星空」さんが困っていて助けを求めにきたところで、
私の役割どころとしても最も適任に感じつつ、
GMのあかみこさん達も頑張ってるけど
まだイベンターとして手慣れていないということもあって、
今回一肌脱いでタイムアタックイベントをサポートしてくることにしました。

イベント集合場所に移動するときに
(コレってある意味の自作自演の手伝いだよな~)
と軽く頭を悩ませつつも、クロスゲート時代では
数々のイベントのお手伝いや主催に携わってきた人で
例えば、クロスゲートの大喝祭だと
イベント主催の人が、私がリアルで唯一会ったことのある人で
クロスゲートの周年記念を利用して大手のギルドを勧誘し
最大級の販売会を開くアイデアを出したのが
実はうさぎ紳士という策謀っぷりだったこともあり
これもイベント開催で必要なことかと割り切れたのも
イベント開催の苦労した経験が大きくなっています。

イベント集合場所に到達し、
本当は様子見程度で影ながらのサポートに
留めようかなと思っていたのですが
なかなか走者が決まらなかったので、
他にも決まりやすいように私も走者として参加。
おかげで影ながらのサポート予定が
表立ってのチャレンジャーとしての参加となり
私自身は記録自体は打ち立てられなかったのですが
イベントとしては2倍期間を獲得することになり
無事イベントとして成功することになった、という流れ。

この流れで、後の経験値の増量に積極的に関わることになり
私がイベント事に積極的に関わりだしたきっかけになりました。

カテゴリー: 未分類 | コメントする